著者について

岩根和郎

Waro Iwane

昭和十八年(1943年)二月四日 宮城県仙台市生まれ。

大学では物理学を専攻されるとともに広範な科学技術全般を修得。その後国立の研究機関において、驚くべきことに四十年近くも前に現代の「ロボットアイ」に相当する人間の「視覚」や「認識」といった医学と工学のフロンティア領域の基礎研究に先駆的に従事。退官後は科学者としてのライフワークとして「人口知能」と、狭くなった地球に必然的に必要となる「ウエブ上のパラレル・ワールド(Web共同体)」を実現すべく起業されて現在に至る。

氏はこのように理系のバックグラウンドを有する科学者・研究者でありながら、古今東西の哲学、思想、宗教、歴史に精通されるとともに精神宇宙の仕組みを深く探求・解明された希有なる「思想家」、「文化家」でもある。理文統合のその壮大なスケールと卓越したバランスの妙、独自の創造性と顕著な先進性は、過去の聖賢を大きく凌駕している。

特に、自らを実験台として半生を賭けて編み出された「悟りと救われに至る具体的方法論」は、偽物の自分を見つけ出し真の自分を発見して行く救われの奥義とも言える内観(自明行)を含んでおり、忙しい現代人が山に籠もらずに日常生活を道場として実践できる「独善と排他の無い真っ直ぐな普遍の一本道」であり、「トンネル効果で十年を一年で一気に疾走できるハイウエイの道」として、その洗練されたノウハウは『人間やりなおし』の著書において惜しげも無く懇切丁寧に開示されている。

本書を含むこれらの著書では、「個の救われ」の原理と方法論をフラクタルに拡張した「全体の救われ」をも示しており、「色」と「受想行識」が織りなす縦の論理である「帰一(きいつ)主義」と、無為にして成す「積極的自然(じねん)」の大原理に基づいており、「個と全体の調和」を旨とするその原理と方法論は、宇宙時代を迎えて狭くなった二十一世紀の地球に恒久平和をもたらす画竜点睛の金字塔である。

さらには、「歴史を創り出すのは一人一人の思考と行動である」とする「ベクトル史観」を提唱され、大局的観点から大和の日本が進むべき道を指し示された『呪縛された日本(上下巻)』の名著から、氏の「自然(じねん)の行動家」としての一面が伺い知れる。

修行中に守護の神霊から授けられたという「空不動」の修行名のもと、「無の修行(登る道)」と「空からの展開(降りる道)」の両道を独力で成就して「無碍自在の覚者」と成られた氏が、宇宙の経綸にそって「仏教やりなおし」とも言える本著をこのたび上梓されたことは、三世において仏教に所縁のある縁生の人々を始め、真理を求める多くの人々が一切の「顚倒夢想」を遠離し、一気に覚醒して「初空者・中空者・上空者」に達することが出来るという僥倖を意味しており、「何かが起きる予感」を禁じ得ないのは一人私だけではないであろう。

「色付けのない人類愛の心」を至上のものとし、「人類の進歩と調和」を日々願って止まない企業経営者、家庭人でもある市井の氏に、生悟りの教祖にありがちな「宗教臭さ」や「現実離れの観念論・理想論」は微塵も無く、一般社会に身を置いて、現実に足を付け、徹底して現実を大切にする「超現実主義」を貫く氏の生き様に、「山の仙人」よりも「里の仙人」に憧れる多くの真の求道者がベクトル共鳴し引き寄せられている。

宇宙の「絶対普遍の価値体系」は、地球上だけではなく天文学的宇宙ならびに精神的宇宙の中で普遍的に通用するものであることから、人類が宗教や思想や文化や主義主張の対立を乗り越えて新しい時代を迎えるためにも、そして地球以外の人類(宇宙人)との交流においても、無くては成らない基礎的拠り所である。その意味で、氏は正に宇宙からの使者であられ、その理論体系は正に宇宙時代の「法」と言える。

混沌の沼に見事な蓮が咲く如く、飛翔を前に「絶対普遍の価値体系」を探し求めて産みの苦しみにある混沌の地球において、氏が命懸けで求めた末に遂に体得体現された「絶対普遍の価値体系」が大輪の花を咲かせる時代が遂に到来した。そしてそれは本著『暗号は解読された 般若心経』の出版が象徴的契機となるであろう。

真理は体得体現してこそ初めて真理となるものであることから、氏の著された理論体系の中に氏の実在があるわけではなく、氏の清々しい高潔感と若々しいお姿、溢れる包容力と気負いなく自然体で相手に接せれつつ相手次第で無碍自在に変化されるお姿の中にこそ、絶対普遍の真理の体現者の実在を見ることが出来るのである。

本著は、「空」とは決して虚しくはなく「超実体」であり、従って仏教は決して暗く抹香臭いものではなく、時代を越えて明るく生き生きと輝く衆生救済のパワーを持つ宗教を越えた宗教であり、人間とは正に選ばれし存在であり、人間賛歌に値する存在であることを実感させてくれる人類史に残る名著である。

解読された般若心経の奥義そのままに「色」と「受想行識」との「同行二人」の姿が著者の日頃の姿である。

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